【哲学】不快な感情自体に問題はない
- カイ
- 2020年11月5日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年11月6日
オーストラリアの心理療法士であるラス・ハリスの著書「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない」という本がとても面白かったのでそれを元に自分で気付いたことを書き記していきたいと思います。
<不安という感情の歴史>
人間は進化の過程で心というものを身に付けました。
原始の心は「殺されないための装置」でした。
大昔の話しで例えると、「この森を出たらサーベルタイガーに殺されるかもしれない。森を抜ける前に辺りをよく確認しておこう」といった具合です。これが不安という感情の起源です。
生き物が最優先すべきことは死なないことであるため、この殺されないための装置である「心」は非常に有用でした。
さらに言えば、こういった不安を感じやすい人間が天敵に殺されず、生き残り交配していきました。つまり我々は不安を感じやすい人間たちの末裔なわけです。
<不安は正常な状態>
しかし現代の人間は外敵から殺される危険はほとんどありません。
生きることが保証されているため、ただ生きることでは満足できず、いつしか幸せになることが生きることの目標となっていきました。
ですが人間の心は不安を感じやすいようにはできていても、幸せを感じやすいようにはできていません。幸せな状態が正常で、不安な状態はおかしくて悪いことだと定義されがちですが、進化の過程を考えれば不安は人間の正常な状態といっても良いくらいです。
「そうは言っても不安は長期的には病気の原因になるんでしょ?」と思われるかもしれません。このことについては後述しますが、興味深いことに不安による病気の症状は不安と戦おうとすることで症状が発現したり悪化するケースが多いようです。
<ネガティブな感情と戦わない>
不安な感情が湧いてくると「いや、こんな風に思っちゃダメだ!」と感情を押さえ込もうとすることがありますよね。しかし本書では、
・ネガティブな感情を押さえ込もうとしたり、無視しようとする
・ネガティブな感情を持ってしまうこと自体を悪いことと感じる
ことを否定しています。
<感情を受け入れ、観察する>
ネガティブな感情を受け入れず、対抗したりそれ自体に嫌悪感を抱くことをラジオに例えてみます。この状態は、ネガティブなことばかり再生するラジオと、それを掻き消すためのラジオ両方を頭の中で再生していることになります。頭の中はいろんな局のラジオの音で一杯で、目の前にある仕事に集中することはかなり難しくなります。
→Answer:感情を受け入れる。感情の評価もしない。感情を客観的に観ることが大切です。
例えばですが、「明日の仕事が不安で最悪だ。」という解釈ではなく、「ああ、僕は今『明日の仕事が不安で最悪だ』っていう風に思っているんだな」と感情を客観的に解釈した上で受け入れます。感情と戦わず、感情と一歩距離を置いて観ることが大切です。例えて言うならカフェの窓辺のカウンター席から、行き交う人や車を窓越しに見ているような感覚です。「あー今不安な感情通ってるなー」みたいな感じです。
<感情をコントロールしようとしない>
これは特に難しいと思いましたが、要は上述してきたことを感情のコントロールでは使わず、受け入れるために使えということです。例えば緊張しているときに、緊張しないように上記のテクニックを使おうとせず、緊張を受け入れるために使うのです。
コントロールが目的になったしまうと先ほど記述した二つのラジオを放送することと同じになったしまうからなのだと思います。
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